【第2603例会】西条ロータリークラブの歴史を振り返り(2017年10月19日例会)

例会プログラム:西条ロータリークラブの歴史を振り返り

卓話者:今谷会員
卓話タイトル:光州RC交流

姉妹縁組の話は地区ガバナー事務所の紹介で始まりました。
当初オーストラリアのクラブが紹介されましたが、交通の便が良くない場所であり交流が困難であるため進展しませんでした。
その後以下の姉妹縁組の経緯をまとめた記録に基づいてお話をさせていただきます。
韓国に事業所を設けておられた、井ノ川会員の熱意によりこの縁組が成就したと思っています。
姉妹縁組の当初は、光州RC会員の多くは日本語が堪能でしたので、自由闊達に会話することができました。中には過去の植民地支配の歴史から、日本語を話すことを拒絶される会員もおられました。
今回西条RCの歴史を紐解こうとして、記念事業の資料の整理が大事であることを痛感しました。
是非ともクラブ内に保存委員会なるものをご検討いただきたいと思います。

(資料)
韓国光州RCとの姉妹縁組
昭和50年6月7日(土)
韓国光州RC結縁調印式 (光州観光ホテルにて)
持参金 2,000㌦ (60万円)
参加者 17名
団長 小早川泰造
逸見康文 平本俊秋 井ノ川義之 石井茂樹 伊原惣十郎 加納秀穂 川口徹 川本貞士 加藤和夫 前垣壽男 西谷宏 島崎朗 杉井弘文 坪島芳文 財満次平次 今谷敏彦

ロータリーの友誌寄稿文
1975年 西条RCは韓国光州RC(377地区)と姉妹縁組を結びました。光州市は、全羅南道、人口58万人、韓国ソウル・釜山・大邸につぐ4番目の都市で、光州RCは、創立16年目にあたり、会員57名を擁しておりました。(光州市には他にアデイショナルクラブとして3クラブがあり、光州4クラブで140名)
1974年11月、光州市の西、羅州町に建設中の食品工場のレイアウト・運営のコンサルタントをしておられた藤本泰蔵氏(太平洋貿易)から、西条RCの坪島敬祐氏(賀茂鶴副社長)宛に書簡が届き、光州RCの国際奉仕委員長申博士(整形外科医)が、海外に姉妹クラブを持ちたいので藤本氏にその橋渡しをしてもらえないかということでした。
光州RCには、以前から年賀状のやり取りなどの文通があり、また、井ノ川義之会員がソウル合弁会社を経営していたことから、主として井ノ川氏の勢力な働きによって、光州との話が進み、翌1975年6月7日姉妹縁組にこぎつけることができました。
結縁以来の両クラブの関係の沿革は次の通りです。
1.1975年6月7日、西条RC会員17名が参加して光州市において姉妹結縁誓約調印式を行う。西条RCより2,000㌦を持参し、光州RCよりの醵金と併せて「光州ロータリー西条奨学金」と命名。
2.1976年5月22日、光州RC呉馨鈺会長以下6名が来訪。
3.1977年6月、光州RC金基昌国際奉仕委員長来訪。西条小学校の絵画寄贈
4.1977年9月、光州小学校児童の図画60点届く。
5.1977年10月21日、西条RC会長齋藤章会長以下6名光州RC訪問、及びソウルでの合同地区大会に出席、西条RCより1,000㌦持参し、1975年命名設置した「光州ロータリー西条奨学金」に追加した。
6.1977年11月、韓国ロータリー50周年記念切手届く。
7.1978年6月23日、光州RC金白雲次期会長他8名来訪。
8.1978年10月3日、西条RC石井茂樹会長以下6名光州へ訪問1,000㌦持参した。
9.1979年5月15日、西条RC創立15周年に金泰俊会長以下8名来訪。2,000㌦寄贈を受け「西条ロータリー光州奉仕基金」とした。国際ロータリー75周年の一環として1980年3月発足予定。
10.1979年11月29日、光州RC創立20周年記念式典に佐藤登副会長以下9名出席。前回同様1,000㌦持参した。

卓話者:小早川会員
卓話タイトル:インターアクトクラブの思いで

資料を頼りに私が関わった青少年奉仕プログラムのインターアクト、青少年交換、RYLAについてお話します。
西条ロータリークラブが提唱して西条農業高等学校のインターアクトクラブは結成10年後に幕を閉じました。この「あらくさ」の冊子にその歩みが綴られています。
初代インターアクト委員会の梶原龍男さんの記事によると、地区ガバナー事務所からの要請に答えてクラブが結成されました。会員全員で1981年5月9日西条農業高等学校の結成式典に参加、泰山木の記念植樹を行い祝宴とはいかないので茶話会をして祝いました。インターアクトクラブ会長は生徒会長の光永君で、当時の池田校長のもと学校をあげて協力いただき会員数42名で発足しました。また姉妹縁組していた光州RCの3名も参列されました。そして後に両国のインターアクトクラブが交流することになります。
西条農業高校を会場に地区の第7回インターアクトクラブ指導者研修会が開催され、修道高校インターアクトクラブ顧問の望月先生が講師を務められました。インターアクトクラブについて、1962年米国フロリダ州のメルボルンロータリークラブの提唱により若者のために作られたと話されました。14歳から18歳の若者又は高校生に地域社会への奉仕の心を育て、かつ国際理解を深めてもらうために始まりました。まず提唱ロータリークラブがあって、インターアクトクラブのお世話をするロータリアンが選ばれ、月2回のインターアクトクラブの例会に出席し、諸行事の相談役を務めます。高等学校の先生より担当の顧問が選ばれ参加・出席されます。
以下にインターアクトクラブでの活動を紹介します。
通称足長おじさんで知られる交通遺児育英募金活動を西条プラザで行いました。私も参加しました最初は恥ずかしくて声がでませんが、慣れてくると大きな声がでるようになります。
老人ホームを慰問して、運動会のお世話や施設の清掃を行いました。
夏休みには、深入山、東広島グリーンスポーツセンター、県民の森、大久野島に泊りがけで出かけて、清掃活動・キャンプファイヤーを行いました。
インターアクトクラブでもロータリークラブと同様に、年1回の地区大会が開催されますので毎年参加しました。又指導者研修会はロータリークラブのIMにあたるもので、広島県と山口県でそれぞれに行われていました。第7回の指導者研修会は、西条農業高等学校インターアクトクラブが担当して「インターアクトクラブの原点を考える」のテーマで同校を会場に開催されました。
私が担当委員長でしたので、今谷会員の配慮で、三原RCのベテラン有木会員を紹介していただきました。 インターアクトにお詳しい広島RCの栗田会員(栗田家具)を、木戸委員と共に訪ねていろいろとご指導いただきました。勿論インターアクトクラブ会員の生徒さんは、顧問の先生と相談しながらしっかりと準備をされました。西条農業高等学校インターアクトクラブは、活動報告のなかで韓国のインターアクトクラブとの国際交流を発表しました。これは西条RCと光州RCの姉妹縁組10周年を記念して、両クラブのインターアクトクラブ同士の交流を行うことになり、創立3年目に韓国の光州RCの提唱された須波亜(スピア)女子高等学校インターアクトクラブとの交流がはじまったことを発表しました。これは他のインターアクトクラブのメンバーには衝撃的なことでした。これが後に第2710地区と韓国第3690地区のインターアクトクラブの交流のきっかけになったと聞いています。現在も交流は続いており地区大会において報告がありました。
さて、昭和59年1月14日夕刻、須波亜女子高等学校インターアクトクラブ会員6名、引率のロータリアン1名、顧問教師1名の計8名が西条駅に到着しました。平安閣での西条RCの歓迎会の後、生徒は2名3グループに分かれて西条RC会員の家にホームステイしました。委員長の私も2名を引き受けました。なにせ1月なので寒いだろうと電気ストーブで部屋を温めておいたのですが、オンドルにより暖かい部屋で生活している彼女たちは寒い寒いと言っておりました。朝食はわたし達の日常を見てもらおうと味噌汁を出しましたがあまり口にしませんでした。言葉が通じないのでお互いに気を使ったとのことでした。翌日は西条農業高等学校を訪問して、お互いの活動状況を報告して交流しました。
この年の3月、西条農業高等学校インターアクトクラブメンバー7名、顧問教諭1名、井ノ川会員とわたしの10名で訪韓しました。初日はソウル市内見学をして、翌日ソウル駅から特急列車セマウル号で光州へ向かいました。途中食堂車で昼食をとって座席に戻ると、生徒さんの指定席に男の子が寝ていて、困った生徒さんがどうしたらいいかと私に言ってきました。私が「オムニ、オムニ」と大きな声をだしたら、母親がやって来て幼児を連れて行きました。井ノ川さんが「あんなもんだよ」と言われましたが、生徒さんたちから韓国語ができるんですねと感心されてしまいました。
私たちは2度生徒を引率して訪韓しました。2回目の時ですが、光州からプサンへ高速バスで移動中に、ラジオ放送が日本航空のストを伝えたので、井ノ川さんが何とか手を打つと言われました。彼は韓国語が話せたので、すぐに韓国のパートナーシップに連絡され、大韓航空でその日に帰広することができました。翌日予約の患者さんがあったので助かりました。
さて交流先の須彼亜女子高等学校は、生徒数約、1,000名のミッション系の女子高校でしっかりした生徒さんたちでした。光州駅に立派な横断幕を掲げて出迎えてくれました。早速学校を訪問して、交換会に出席して両校の活動を報告して交流を深めました。夜は光州RC主催の歓迎晩さん会に両校のインターアクトクラブ会員が出席して盛大に開催されました。西条農業高校生は3グループに分かれて光州RC会員のお宅にホームステイさせていただきました。
相互訪問派3回あって私は2回参加しました。
次に最近は全国高校文化祭と名称がかわっていますが、当時の東京活動文化祭へ数回参加したと思います。夏休みを利用して東京で行われていました。全国のボランティアを志す中高生の生徒さんが、交流して勉強会・見学会・様々な体験を泊りがけで体験するものです。例えば「生命の尊さを考える」テーマで、老人ホームや難病と闘う人々の施設の見学、青年海外協力隊事務局・国連広報センターの訪問、三友会といってアルコール依存症・その日ぐらしのホームレスの日常生活を支えているボランティア団体の活動を学習しました。
この活動は10年を節目に幕をとじました。記念に植樹したタイサンボクは大きく育ちました。モクレン科の常緑高木でモクレンのような白い花が咲くようです。その間故梶原さん、今谷さん、政光さん、私小早川、伊野本さん、杉井さん、竹内宏さん、岩井さん、故逸見さんと9人の委員長に引き継がれてきました。ちなみにわたしは2回やっております。
生徒たちの感想文を読みますと、東京活動文化祭・光州への泊りがけの訪問体験が大きな思い出となったようです。一方地味ではありますが、いろいろなボランティア活動も多感な時期に良い経験であったと思います。 しかし10年の歳月を経る中で、学校をあげて出発したインターアクトクラブも、校長先生、顧問教師の先生方の交代による理解度の変化、生徒さんの勉学・部活動とインターアクト活動の両立の困難、西条RCの支援金等の要因で終了することとなりました。なおその後西条RCと光州RCの会員の子弟の相互訪問、中学生の相互訪問がありました。
話は変わります。ロータリーのプログラムの一つに、高校生の国際理解と親善を推進するために行われる青少年交換があります。休暇中の短期な場合と、1学年度の長期なものとあります。
1995(平成7)年、当時賀茂高等学校生の田川君と武原さんの2名が米国に留学し、米国から賀茂高等学校へ2名の生徒がやって来て1年間通学しました。西条RCが受け入れたショーン・フィツジェラルド君と東広島RCがお世話したクリスタ・カーターさんです。
ショーン君は夏にやって来て、まずは田川君の家にホームステイしましたが、秋から冬にかけて私方にホームステイしました。大き目なベッドを買いました。学校に持っていく弁当を作り、洗濯してくれた家内の協力がなければとてもできませんでした。彼の口癖は日本で覚えた「心配しないでください。」で何度も聞きました。通学だけではかわいそうなので、ミシガン州出身の彼はスキーが大変上手だったので、実家から特大のスキー靴を送ってもらいスキーに連れて行きました。ボーイスカウト活動で登山していたので、西条の日曜山岳会に参加して近くの山に登ったり、私の友人たちと倉敷へ旅行にも連れて行きました。前向きな若者で、日本語をマスターして日米間の橋渡しができる仕事をしたいと言っていました。秋以降に菅生一郎さんのお父さんのお宅、故島英三さんのお宅でホームステイしております。
2002(平成14)年8月3日国際青少年交換学生として柳田さんがメキシコに出発し、同25日メキシコからフェルナンド君が広島空港に到着しました。彼は廣幡会員のお宅にホームステイして西条農業高等学校に通学しました。廣幡会員は日曜日仕事がら多忙なので、時々私が休日の世話係となりました。ある日竹岡会員ご夫婦がフェルナンド君を黒瀬方面から野呂さん登山へ連れて行きました。結構きつい工程でした。彼は山の上で車が走っているのを見て言ったそうです。「車でくればいいじゃないですか」もっともなことですが、彼は山登りが好きでなかったようです。実は彼は自転車が大変好きで、しまなみ海道を瀬戸田の耕三寺までサイクリングしました。レンタサイクルを借りたのですが物がよくないと渋ったのを覚えています。彼が持っているものは相当なものだとか言っていました。
漏れ聞いたところによりますと、彼はコンピュータ関係の勉強がしたかったらしいのですが、農業高校ということで牛の世話をすることがあり、少し辛い高校生活だったようで、留学期間を少し早めに切り上げて帰国したと聞きました。メキシコ人形をお礼にプレゼントしてくれました。
最後にRYLA(Rotary Youth Leadership Awards)についてお話します。青少年奉仕活動のプログラムで、若者に指導者として又善良な市民として成長してもらうために行事や講演および活動を体験してもらうプログラムで、14~18歳と19~30歳までに分かれて活動します。上級の年齢のグループの活動が盛んなようです。西条RCは2回ホストを務めました。1回目は昭和53年9月にしまなみ信金(当時は三原信用金庫)の会議室で研修会を行いました。2回目は平成5年3月に広島C.C.西条コース西の西条グランドホテルにおいて1泊2日の日程で開催されました。この時は全員で福成寺に登りました。
ご清聴ありがとうございます。