【第2628例会】新入会員卓話(2018年5月31日例会)

例会プログラム:新入会員卓話

卓話者:安武 弘志 会員(中国電力 東広島営業所長)

安武弘志会員

新入会員の安武です。西条ロータリークラブに光栄にも入会させていただき半年,ロータリアンの心持ちや行動面ではまだまだ全然初心者です。私は平凡な人間ですが洗いざらい赤裸々の自分をお話させていただきたいと思います。その上でどのように自分を磨いていけばよいか,今後皆さま方からご指導やヒントをいただけると誠に幸いです。
家族構成は嫁と2人暮らし。趣味は旅行と本を読むこと,昨年秋の入会挨拶でこう申しましたが,卓話内容を考えるにあたり過去を振り返るなか,自分はこれまで仕事が趣味だったことに気付き,改めてこれまで恵まれていたと感じました。
私は昭和40年9月山口県宇部市生まれです。父親は昨年89才で亡くなったんですが,昭和3年生まれのごく普通のサラリーマンでセントラル硝子というケミカルの会社で化学の技術屋として定年まで勤めました。母親は昭和9年山口県長門市生まれで元気に宇部の実家でお茶の先生をしております。兄2人もサラリーマンで平凡な家庭です。
父の転勤で東京含め私は3つの小学校に行きました。友達が出来ては転校の繰り返しで,新たな環境にもうまく溶け込んでいく要領の良さはこのころ身に着けたと思います。
父の仕事は転勤が多かったため,私は3つの小学校に行きました,2年生までは東京で,宇部の小学校に転校,その後親父が家を建て,市内の別の小学校に転校しました。友達が出来ては転校の繰り返しで,このころに私は,新たな環境にもうまーく溶け込んでいく要領の良さを,身に着けたんだと思います。
私立の中学校へ進むと,同級生は親が社長やお医者さんという子が多くみんな随分お金持ちでした。同級生のひとりに地元の割と大きな病院の息子がいて,医者になったいまも親友なんですが,当時は高価なおもちゃがある彼のうちにしょっちゅう遊びにいっていました。そんな彼も私の家に遊びに来たときは,普段あまり漫画を読めなかったのか,私の兄が買っていた漫画を何時間も集中して読むんです,ほとんど一言もしゃべらずに。夕方になり山ほど漫画を読んだ彼は何かをやりとげたように帰って行きました。そのとき,お医者やお金持ちの家の子もそれなりに大変なんだな,自分は一般庶民でホントよかったと思いました。
高校は地元の公立の進学校に進み,大学は大阪府立大の工学部電気工学科になんとか受かり,家賃1万5千円,壁はベニヤ板の四畳半アパートで念願の都会のひとり暮らし。抑圧された生活から一気に解放され,講義にも出ず麻雀三昧のまさに天国のようなのびのびした生活。そんな生活が1年くらいで,このままではだめになると思いアルバイトをしました。
カメラ部品などプラスチック部品の金型を作る小さな会社で卒業まで4年間働きました。社長に社員一人にバイトが私一人という小さな町工場でしたが工作機械はひととおり揃っていました。量産したいプラスチック部品と同じ形の銅の電極を作り放電加工機を使って型を作るのですが,私は電極を図面通りに加工して削り出す仕事をしていました。具体的には先般富士機械工業さまの工場を拝見した時にもありましたが,NCフライス盤のプログラミングや金属の切削加工などを担当しました。これがとても面白い仕事でマニュアルを下宿に持ち帰り独学,未活用の機能を使い作業効率を改善し,社長からも褒められました。金型の値段は車1台が買える位高価と聞いていました。時給も1200円と高く月20万近くのときもありましたが,折角の給料もガソリン代や麻雀などほぼすべて遊びに使い果たしていました。社長は慶応卒で脱サラし金型の会社を立ち上げた方で田舎者の私をとても可愛がってくれました。1個の金型を何日もかけて完成させるとよく飲みに連れて行ってもらいました。取引先と合同の社員旅行にもバイトながら連れて行ってもらいました。バイトにはまり肝心の勉学の方は単位も取らず留年してしまい,結局大学に5年行きました。留年し父親に厳しく叱られましたが,何とか卒業もさせてもらい,あまり親孝行はできませんでしたがとても感謝しています。社長にはお酒の飲み方をはじめ大人の世界と仕事の楽しさやりがいを教えてもらいました。いまの自分があるのも社長のおかげだと思っておりとても感謝しています。
大学卒業の1989年はバブル全盛で景気が良く完全な売り手市場でした。電気工学科から銀行に入った同級生もいたほどです。そんなラッキーな時期でもあり成績の良くなかった私も中国電力に入ることが出来ました。当時の私は大学でのびのびし過ぎたこともあって「このさき就職して稼いで全うに生きていけるか」あまり自信がありませんでした。成績優秀な同級生は大手電機メーカーやNTTなどに入って行きます。私は成績は良くないながら知恵は使いました。「いま日本の電機メーカーは海外で儲け花形だが10年20年後はわからない」と思い,電気系では比較的人気が少なかった内需型の会社で地元でもある中国電力を受けることにしました。幸い私の読みは入社後20年のレンジでは当たったと思います。バブル崩壊後,とくに関西の電機メーカーは当時の勢いを失い会社自体がなくなってしまったところもあります。ですので,いまの会社にとても感謝しており,残りの会社人生,人づくりの面などで,できる限り恩返ししたいと思っています。次世代リーダーの育成が私の最重要の仕事と思っています。
電気事業は段階的に自由化され,低圧を含む小売全面自由化が始まり2年たちました。電気事業全体のマーケットは約20兆円で,中国エリアは1兆円余りです。電気が普通の商品と異なる一番の特徴は,生産と消費が同時に行われ「貯蔵が利かない」ことです。電力システムは①発電設備,②電気を消費する工場やご家庭など,③その間をつなぐ送電線,変電所,配電線などで構成(全体を「電力系統」と呼ぶ)され,電力系統を一瞬で電気が流れることで発電と消費が同時に行われています。光が一瞬にして目的地に届くのと似ています。電気は在庫が利かず,必要な消費量に見合う量の発電を常にしておかなければなりません。「在庫切れなので一寸待ってください」とはいきません。蓄電池や水素の形で電気は貯められると思われがちですが,電池の場合も電気そのものでなく化学エネルギーに変換しており,放電の際はやはり一瞬で消費されてしまいます。大規模のエネルギーを貯める揚水式水力発電は水をダムに汲み上げ位置エネルギーに変換しています。発電量が足らなくなると交流周波数60Hzが低下します。一般的に消費に対し発電が10%不足すると1ヘルツ程度周波数が下がります。1Hzかと思われるかもしれませんが富士川以西の60ヘルツ系統の全ての交流発電機は同じ周波数で「同期」して回転しており一定範囲の周波数でしか運転できないため,最悪の場合,発電機が停止してしまいます。こうなると更に需給バランスが崩れ最終的には大停電に至ります。日本では周波数が60±0.1Hzに収まるよう,常に消費と発電の需給バランスを保つよう運用しています。以上が電力会社のビジネスモデルの本質の部分ですが,燃料調達や契約・決済など仕事の範囲は広く多岐に渡り,今後ICT,AIなど更に広がると思われます。
私は入社以来30年でかなり多くの分野の経験をしてきた方だと思います。入社後4年間は広島県の加計という山の中にいました。入社5年目に広島市内勤務になり,その後,上位機関の中央給電指令所という部署に転勤しました。中央給電指令所は中国地方全体の電力系統を運転・監視するまさに電力システムの中枢で,3年間とても面白い仕事でした。火力発電所に出力調整指令を出したり,北海道から九州まで全国と電力のやりとりもします。今冬のように首都圏が大雪で電気が足りないときなどは,全国から電気をかき集めます。当然ただでなく取引額は一日で億円単位が動くこともあります。どんな仕事かと聞かれたとき私は「車の運転よりも100倍楽しい」と答えています。それぐらい面白い仕事でした。
30代で本社の経営企画室へ異動し,東京にある電気事業連合会にも2年間出向しました。ハードでしたが,とても貴重な経験になりました。
岡山の事業所の新任課長になったある日,社外から「送電線に人が引っ掛かっている」との通報が入りました。岡山と福山方面を結ぶ11万ボルトの重要送電線で,事業所は騒然。すぐに送電線を停止しないといけないか,送電線を止め停電を起こしても大変です。しかし,まだ現地を社員の目で確認できていません。マスコミからも問合せが来ましたが「現地確認中」とだけ答えました。現地に社員が到着,引っ掛かっていたのは人間ではなく,ミッキーマウスの絵が描かれた大きな風船でした。風船は無事撤去し大事にはいたりませんでした。この事件は翌日の新聞に撤去後のシワシワにしぼんだミッキーの写真入りで出ました。この出来事で,情報は現場・現物でよく確かめてから判断しないといけないということを学びました。
変わったところで原子力の管理部門に3年おりました。島根原子力発電所には500名の社員が働き,協力会社を含めると3千人以上が働いています。とかく特殊な目で見られがちな原子力部門ですが,社員は地元を愛し,安定した電気をつくるために,使命感を持って仕事をしています。
箱根駅伝4連覇,青山学院大学陸上部の原晋監督は,平成元年同期入社の親友です。今はなかなか会えませんが同期会には毎年顔を出してくれます。彼は当時から周囲を元気にやる気にさせる熱さを持っていました。
東広島営業所は,所員約140名,総括する三次・呉営業所を含めると総勢300名程度です。三次・庄原から江田島まで広島県中部,県の約半分のエリアで仕事をさせていただいております。日夜,お客さまに安定した電気をお届けする仕事は責任も重たいですが,地域のため所員一丸で頑張っています。
私事ながら打ち明けて申しますと2つ嬉しいことがあります。ひとつは上司がそばにいないこと,もうひとつは所長室があることです。自分のうちにも部屋と呼べるような空間はありません。会社で部屋を持つのは初めてですが,まあまあ広くすごくうれしいです。ぜひ皆さまも会社へ遊びに来てください。
今後も引き続き,皆さまからご指導ご鞭撻もいただきながら,まだまだこれからではございますが,ロータリアンの精神に磨きをかけてまいりたいと思っておりますので,どうぞよろしくお願いいたします。本日はご清聴有難うございました。